ロボットやAIは 人間を幸せにする事はできない。

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今まで記事は4つの記事で瞑想の関しての記事をアップしてきましたが

今回の記事では趣向を変えて

科学で人間が幸せになれるのかという事と

時代というマクロの視点から瞑想の必要性という

テーマで記事を書いていきたいと思います。

 

 

携帯電話の普及し始めて精神科に受診する人達が増えた

平成の時代ももう終わります。

わたしは現在36才ですが平成の時代はどんな時代だっだかというと

「失われた10年20年」と言われ経済も低調だったようですし

90年代は事件も暗いニュースの方が印象に残っています。

けれども携帯電話やパソコンやインターネットの普及し

人々の生活がそれで変わってきて便利になってことも事実でしょう。

けれども携帯電話を普及するあたりから精神科に受診される人も増え始めている

というデータもあるそうです。

 

最近、AIという人工知能が人間の仕事を代わりにやってくれるという

話がネット上に出回るようになりましたね。

言い方を変えればAIが人間の仕事を奪うという事です。

数年前の某携帯電話のCMであるタレントがロボットに対して

「君は幸せのドアを開けるために作られたんだよ、どうやら人だけでは人を幸せにしきれないみたいだな。」と

ロボットに話しかけロボットが人間を幸せにしてくれる事を期待する内容でした。

最近はAIというの人工知能というも出てきますが

ロボットやAIが人間を幸せにする事はないでしょう。

インターネットも携帯電話も出てきた時は騒がれ

人間の暮らしを便利にしてきましたが

人間を幸せにする事は出来なかった。

科学技術が発達して便利なモノや技術が発明されてもそれは

人間の生活を便利する事はあっても人間を幸せにする事はないはずです。

 

 

 

昭和の時代はカラーテレビや新幹線に夢と希望をもてた

昭和はどういう時代だったのでしょうか。

映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の見た印象で昭和をリアルタイムで知らない方は

古き良き時代と思われる人も多いでしょう。

戦後の焼け野原から短期間の間に経済大国をつくりあげた

日本人のバイタリティはすごいと思います。

あの頃はダイナミックに世の中が変わっていく時代でした。

戦後の焼け野原から復興、道路ができて、電車がとおり

電化製品もテレビ、洗濯機、冷蔵庫と暮らしも豊かになり始め

世の中がいい方向に変わっていくに違いないと

国民一体となっていたように思えます。

アメリカに戦争には負けたけど経済で追いつけ追い越せと。

懸命に働き、東京オリンピック、大阪万博と開催されました。

高度経済成長という時代が到来し

カラーテレビや新幹線が夢と希望を運んできてくれると

信じていたのでしょう。

モノに感動できた時代だったと言えるかもしれません。

 

 

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モノの豊さが心の貧困を浮き彫りにしている

昭和から平成になりバブルがはじけてしまいましたが

日本は世界有数の経済大国という地位にあります。

誰もがこれから素晴らしい時代になると思っていた高度成長時代。

そして平成の時代は果たして幸せの時代だったといえるのでしょうか?

携帯電話もインターネットも人間を幸せにしなかった。

それどころは科学技術が発達し人間がやっていた事を

機械がやるようになり人間は用無しになっている感じさえあります。

人は時間をもてあますようになり、みじめに過ごす時間が増えました。

しかも少年が学校でとんでもない犯罪を犯してしまったり

怨恨でも強盗目的でもない動機が不明瞭な犯罪も増えました。

昭和より確実に暮らしは豊かになってはずなのに

現代人は生きる意味を見失ったようです。

昭和の時代は戦後日本を復興をし近代化を果たし

日本をお金持ちの国にするという働く意義もあったでしょうが

現在充分の経済大国になった今の日本

日本は近代化をはたし平成の今、不況とはいえど人の暮らし充分に豊かに

なったはずが幸せを感じている人は少ないはず。

 

それどころがモノの豊さがコントラストとなって

己の心の惨めさを浮き彫りしているようです。

 

 

科学の発展が人類の破滅をもたらす事もある

科学は一つの巨大な力でもあります。人の生活に多大な恩恵をもたらす事も

できれば人類を破滅をもたらす事もできます。

一人の狂人が核ミサイルのスイッチを押してしまえば

この世界が崩壊させる事は技術的には可能でしょう。

戦争は外交の手段であると言われる事がありますが

果たしてそうでしょうか?

生きる意味を退屈な見失った人達が戦争を起こしているのでないでしょうか?

愛に溢れた人たちが戦争を起こす事は考えにくいです。

インド独立の象徴であるマハトマ・ガンジーが残した言葉で

「平和な時代は歴史上存在しなかった、戦争と戦争の準備の時代があるだけだ」

というのがあります。

平成という時代が戦争の準備の時代でない事を祈るばかりです。

 

 

瞑想で世界ではなく自分自身に革命を起こそう

世の中を良くしたい人たちは歴史上沢山存在してきました。

それらの人のおかげ人間の生活は豊かになってきたのは事実です。

歴史上奴隷制度や人種差別等人々が虐げられた人々がいた中で

世の中をかえようと革命を起こし世の中が少しずつ変わってきました。

民主主義が広がり表面上を人々は自由を手にしたように思えます。

だが一部の権力者が大多数の人間を搾取する仕組みが

根本的に変わったとは思えません。

それどころか奴隷制度は形をかえて巧妙に続いているように思えます。

テレビやメディアの情報に惑わされて

わたしたちは自由という檻の中に住んでいるのかもしれません。

 

世の中を変えようという動きはもちろん必要でしょう。

でもこの世に理想郷をつくる事は絶対にできません。

政治で世の中を変えようとしても

さまざまな人々の意図が交錯し

世の中にひずみが起こる事は避けられません。

 

瞑想は世の中に革命を起こす事はできませんが

自分自身に革命を起こすことはできます。

瞑想によって自分の内側にある二元性を超える一瞥を得る事ができます。

愛や憎しみ、喜びや悲しみ、怒りと慈悲、若さや老い

これらのものを超える自分の内側の広大な「意識」に気づくことができます。

 

瞑想でこのような意識に到達すると外側の世界に慈悲の目で見る事が

できます。外側の世界が永遠などない事知りそれら二元性のない

愛で受け入れる事ができます。今までわたしたちが知っているような

たやすく憎しみに変わるような愛ではなく絶対的な愛です。

 

科学や機械やモノが人間を幸せにする事はできないでしょうが

瞑想が人間を幸せをもたらす事はできるでしょう。

 

幸せで愛に満ち溢れた人間なら科学で世の中に恩恵をもたらす事が

できるでしょうが、

今は狂人である政治家が権力をもち科学を戦争の道具にしています。

わたしたちがとるべき道は世の中に革命を起こす事ではなく

瞑想で自分自身が革命を起こすべきです。

 

今日も最後まで読んでくれてありがとうございました。