人間関係の悩みは瞑想の大いなる機会である。

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こんにちは、香川です。

人間関係にて悩んでいませんか?

明日職場であの人に会うのが憂鬱でたまらない、

って思う人は珍しくないと思います。

人間関係の悩みを解決できるとっておきの瞑想法

ってのが世の中にあるのかどうかは

わかりませんが

わたしの経験上

人間関係の悩みは瞑想の大いなる機会なのです。

もっとわかりやすく言えば

苦手な人間がいる程、瞑想で成長する機会がある

と言えます。

今回の記事では人間関係の悩みが瞑想で成長できるという

ことを解説しようと思います。

わたし香川は2005年から瞑想続けており

今も成長半ばですが

当ブログの記事では

自分の体験をもとに書かれており

この記事が瞑想している皆さんにとって

なんらかの助けになれば幸いと思っています。

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人間関係は自分を知る為の鏡である。

人間関係は自分を知る為の大いなる機会です

他人は自分の鏡というのをきいたことがありますか?

嫌な人、自分を攻撃してくる人は

少なからずいますが、

他人から引き起こされる感情とは

元来自分が持っていた感情なのです。

 

例えばブッタにまつわるこんな話があります。

 

ある日ブッタに対して怒り狂った人が

罵詈雑言をなげかけ

ブッタの頬に唾を吐きました。

ブッタその唾を手で拭い

「あなたは疲れているのだろう。家でゆっくり休むがいい」

と言いました。

それを見ていた弟子のアーナンダは

怒り狂い

「彼に罰を与える権利を下さい。彼には罰が必要なのです。」

とブッタに訴えました。

「おやおや、アーナンダよ、彼の行いのために

お前は自分で自分に罰を与えているではないか」

とアーナンダを諭しました。

 

ブッタは唾を吐きかけた

哀れな人に慈悲の心で接し

弟子のアーナンダは自分に降りかかった

出来事でもないにも関わらず

怒りに苦しみました。

 

キリストは十字架の上で自分を

罰しようとしている人達に対し

「父よ、彼らをお許しください。

彼らは自分が何をしているかを知らないのです。」

と言ったとされています。

キリストは自分を殺そうとしている人たち

に対しても慈悲の心を持てたのです。

 

人が他人から引き起こされる感情というのは

人が元来持っていた感情であり、

他人は自分の感情を明らかにしてくれる

きっかけに過ぎないのです。

 

他人におかげで自分を知ることができる。

瞑想は人間関係を解決をすることはできませんが

人間関係を自分自身を変容の機会にすることはできます。

日常生活を送るうえで他人に対し

怒りや憎しみを覚える時は

それに対して瞑想をして

自分のうちにある怒りや憎しみをどう変化できるか

成長の機会にすれば良いのです。

他人がいないと自分を知る機会はないのです。

 

こんなむかし話があります。

 

あるとても怒りっぽい男が町にいて

彼はすごくケンカッ早くて

そのうちケンカで人を殺すだろうと

周りの人から言われていました。

その男もこれではマズイと自分を変えようと

決心し山へ登りそこで一人になって

穏やかな自分になろうと瞑想を続けました、

男は瞑想を続け数十年も経つと

町にも山の上に聖人がいると

その男の名声が広がり始めました。

 

ある時町のお祭りが催されることになり

町の方からすっかり名声を博したその男に

町のお祭りに出てもらうよう依頼されました。

男はもう数十年に渡って山で瞑想し

こんなに穏やかになったのだから

もう町に出ても大丈夫だろうと思い

数十年ぶりに町に下りました。

そして祭りの最中、たくさんの人の中男が歩んでいくと

誰かが誤ってその男の足を踏みました。

その男はその瞬間我を忘れ

足を踏んだ人の胸首をつかみ

「貴様、わたしを誰だと思っている」と激怒しました。

男はすぐに我に返りましたが

自分に愕然としました。

一瞬で男は数十年前の自分に戻っていたのです。

その後男は皆の前で

「私は聖人ではなかった。わたしは穏やかになろうと

一人で山で瞑想を続けてたが何も変わっていなかった。

この数十年は無駄だった。これからは皆さんと

暮らします。」

と言いました。

 

人は自分一人では自分を知ることが出来ないのです。

人は自分の都合のいい理想の自分の思い描いているだけで

現実の自分を見てはいないのです。

現実の自分を知ることができるのは

他人の存在のおかげなのです。

 

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瞑想で怒りや憎しみ使われていたエネルギーが覚醒に変容できる

人間関係で消耗するのは他人に対する

やり場のない怒りで自分までも苦しむ

事になるという事です。

これに対して瞑想すると

怒りが慈悲に変容することが出来ます。

具体的な方法は

怒りを慈悲に変容する呼吸法

 

怒りを覚えている人を思い浮かべて

その人への怒りや憎しみをハートに呼吸するよう

イメージして5秒かけて息を吸いこんでください。

このときに憎しみを黒っぽくイメージして呼吸すると

やりやすいでしょう、

息を吐き出すときは

今度はその相手に慈悲を送るように5秒かけて

息を吐き出すのです。

ハートから吐き出すようにイメージして

愛や相手の幸せを祈るよう吐き出すのです。

このとき慈悲を白っぽくイメージすると

やりやすいしょう。

 

このプロセスを5分間、深呼吸するように繰り返します。

この後できれば5分間沈黙し座って瞑想しましょう。

 

怒りを抱いている相手の幸せなんか祈れるか!

と思うかもしれませんが

不思議とできるようになってきます。

この呼吸法はしかも

ハートを意識できる呼吸法でもあるので

普段仕事に忙しい人はハートの声を

聴くことがどうしてもおろそかになるので

ぜひ試して頂きたいです。

 

この呼吸法で怒りが慈悲に変容できるようになって

くるとそれまで怒りに浪費していたエネルギーが

自分の心に気づくようになってくれ

自分の瞑想が深まってきます。

 

どんなに嫌な人でも瞑想の機会を与えてくれる

やっぱりどこの世界でも理不尽に

攻撃してくる人はいるものです。

その人たちを対処するのは

本当に骨が折れます。

 

ここからは自分の経験なんですが

理不尽に精神的に攻撃する人達に対して

怒りで反応しなければ

次第にその人達も自分に対する攻撃も

収まってくるものです。

怒りに対して怒りで反応するから

相手も乗ってくるのではないでしょうか?

 

どんな人も自分の瞑想の機会を与えてくれ

成長する機会だと思えば

理不尽な人に対する怒りも

次第に収まってきます。

 

いい人にも嫌な人にも感謝しましょう。

今日も最後まで読んでくれてありがとうございました。