瞑想でハートを取り戻せ! ~ハートとマインドの違い~

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こんにちは。香川です。

「あいつはメンタルが弱い。」

とかいう言葉を日常生活で

耳にしたり使ったりしますよね。

メンタルとは精神とか心理的にという意味ですが

具体的にメンタルとはどういったものでしょうか?

 

わたし香川もはじめて瞑想に

興味をもったのは自分の

メンタルを強くしたいと思ったのが

きっかけだったような氣がします。

 

今回の記事にはメンタルとは何かと

瞑想することによってメンタルにどのような

影響があるのかを自分の経験から

書いてみようと思います。

 

 

 

マインドとは論理的思考であり、ハートはフィーリング

心またはメンタルとは主に二つに分ける事ができます。

論理的の思考のマインドと

感情でありハートですね。

マインドとはビジネスマインドとか

マインドコントロール

という言葉で使ったりしますが、

マインドとは

わたしの印象で言えば

他人や社会から植え付けられたものである。

という気がします。

人間本来のものではありません。

その人の過去に形づくられたものであります。

例えばあなたのビジネスマインドと

わたしのビジネスマインドは

同じビジネスマインドであっても

微妙に違うはずです

 

 

ハートは人間本来のものですね。

生まれたばかりの子どもは

感受性が強くて何でも

感動しますよね。

初めて雪が降るのをみて喜んだり

いつでも好奇心いっぱいです。

大人より子どもの方が

ハートに繋がりやすいと言ってもいいでしょう。

 

 

 

わたしたちのハートは学校教育により虐げられてきた

マインドコントロールという言葉があるように

論理的思考であるマインドは

社会に他人にコントロール

されやすいものです。

 

子ども頃小学校で運動場で

整列させられ

「前にならえ、気をつけ!」

と誰もがやれされた覚えがあると

思いますがあれはまさに

洗脳教育といってもいいほど

のものです。

先生の号令にて身体を硬直させられ

その影響で思考も硬直しまさに

操り人形にさせられてしまいます。

人は子どものころから繰り返し繰り返し

こういった事を号令をかけられていると

ハートからも繋がりを失くしてしまいがちになり

論理的思考だけのつまりマインドだけの

人間になってしまいます。

わたし達のハートは子どものころから

虐げられてきたのです。

マインドだけの人間は誰かコントロール

されやすい傾向にあるので

わたしたちは常に社会や誰かに

操られやすい影響下にあることを

肝に銘じとかなければなりません。

 

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ハートは社会や他人の支配下に受けることはない

なぜはわたし達のハートは

社会から何故虐げられたのでしょうか?

結論からいうとハートがある人間を

社会が支配したり都合のいい人間にはできないからです。

 

例えば先に述べた

学校の先生による号令ですが

あれはまさに軍事訓練そのものだという

指摘があります。

あれにより子どもだんだん

あやつり人形のようにされ

ハートを失くし

他人に操られるマインドだけの

人間になります。

 

まるで兵隊が上官からの

命令で躊躇なく戦争で

人を殺せるようになるように

わたしたちはこどもの頃から

洗脳教育をされてきたのです。

 

何故、日本の教育がこうなったかまでは

解りませんが・・・・。

 

 

他人とはマインドではつながる事ができないがハートでつながる事はできる

マインドとは攻撃的な傾向があります

この世には国家や宗教での

主義主張は人のマインドから

出てきたものが大きいでしょう。

これらは人によって隔たりがあるのは

避けられません。

 

例えば極寒の国の宗教と灼熱の国の宗教が

違うのは当たり前です。

それらのに同じ宗教であっても

宗派によりに微妙に教義が違うという理由で

争うことがあるそうです。

 

つまり人と人はマインドだけでは判りあえることが

出来ないという事です。

 

 

ハートの言葉はただ一つ、”YES”

マインドが攻撃的で男性的なものにあるなら

ハートは受容的で女性的なものです。

マインドが一点に集中し貫くイメージとしたら

ハートは海のように広大なものです。

 

怒りや憎しみさえも受け入れ

錬金術のように

慈しみに変容することができます。

ハートはフィーリングでマインドのように

言葉を発することがあまりありません、

ハートの言葉はただ一つ”YES”です。

 

ハートはすべて受けいれる力があります。

だが私たちのハートは幼いころから

学校教育によりひどく

抑圧されてきました。

しかしわたしたちのハートは

死んではいません。

どうすればもう一度ハートを呼び起こす事が

できるのでしょうか?

 

 

瞑想によりハートとマインドが一つになる

ハートは瞑想によって活性化することができます。

 

でもわたしたちはマインドだけの

社会に生きているので

瞑想したからといって

すぐにハートの声が聞こえる

わけでもないでしょう。

瞑想を始めたばかりの時は

男性的なマインドのやかましい声に

止むことがなく

気が滅入ることもあるでしょう。

それでもひたすらに瞑想するのです。

自分のマインドに黙れと言っては

いけません。そんなことをしては

ますますマインドがやかましくなります。

 

ただひたすらに心に観察するのです。

 

するとやがてハートの声が聴こえるようになります。

 

目覚めたてのハートは恥ずかしがり屋で

大きな声を出すことはありません。

少しずつ少しずつハートが

目覚めていきます。

 

マインドは誰かに支配されるがハートは誰にも支配されない。

マインドコントロールという言葉

がありますがハートコントロール

という言葉はありません。

攻撃的で男性的であるマインドが

他人にコントロールされやすく

受容的で女性的であるハートが

他人にコントロールされにくいとは

やはり男性より女性の方が

メンタルが強いということでしょうか?(笑)

 

マインドだけの人間は奴隷と言っても

いいかもしれません

もっと言えば、相互奴隷と言ってもいい

状態です。

支配するほうも支配される方も

お互いがなくては生きていけない。

まさにお互いがお互いを

奴隷にし合っているという

奇妙な状態に陥っています。

 

マインドはだけの人間は

誰かを支配しようとしたり

誰かに依存しようとします。

しかも特定の思想や宗教や

己の国のナショナリズムという

旗を掲げて、最悪の場合

戦争を起こしたしたりします。

 

瞑想によってハートとマインドが一つになれば

この世界は平和に訪れると

わたしは信じています。

 

わたしたちは奴隷ではないはずです。

今こそ子ども頃からの呪縛を断ち切って

瞑想し自らのハートを取り戻すべきです。

 

今日も最後まで読んでくれてありがとうございました。