マインドフルネスと瞑想の違いについて。~マインドフルネスの弊害~

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こんにちは。香川です。

マインドフルネスという瞑想法が数年前から

流行っているようこれのおかげで

瞑想というものより一般の人達に身近に

感じられるようになった感があります。

 

マインドフルネスは宗教色をなくし為に

躊躇なく人が取り組めるようになったという声もあるのですが

 

 

わたしが瞑想を始めたのは2005年の23歳の時。

わたしは瞑想の本を求めよく書店に

行ったのですが、

マインドフルネスの本を見かけた記憶はありません、

マインドフルネスという言葉が流行りだしたのは5,6年前からであり

マインドフルネスは今まで伝統的に実践された瞑想よりも

少し違った意味合いが観られるようです。

 

マインドフルネスは確かに瞑想法一つですが

昔から人が実践されてきた伝統的の「瞑想」とは似て非なるもの

という感じがします。

 

今回の記事では瞑想とマインドフルネスとの違い、

それとマインドフルネスの効能と弊害を語りたいと思います。

 

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 マインドフルネスは手段であり目的ではない。

マインドフルネスの効果とはどのようなものがあるのでしょうか?

 

・ストレスの軽減 ・免疫機能の向上・ 集中力の向上 ・ダイエット効果等

 

といった有益の効果がみられるようです。

アップルのスティーブ・ジョブズ氏を始め

グ―グルやインテルでは企業全体で取り組んでいるそうです。

 

実践の仕方も、姿勢を整える。呼吸に気づく、浮かんでくる思念を受けいれる

つまり「今この瞬間に気づく」という事に主眼を置いてあり

実践の仕方はブッタが発見したと言われる

ヴィパッサナー瞑想と大差ないように思われます。

 

でも最後の一点に決定的な違いが一つあります

マインドフルネスと瞑想の違いは

結果を求めるという事です

マインドフルネスにおいて重要なのはあくまで

効率的に仕事ができストレスなく日々を生きるためのツールという事です。

 

つまりストレス軽減などのメリットのためにマインドフルネスを

おこなうであってそれ自体が目的ではない。

 

マインドフルネスは手段であり目的ではない、ということになります。

 

 

瞑想(禅)はそれ自体目的である。

 

日本で瞑想というと座禅という禅を思い浮かべる人も多いと思いますが

 

昔から、とある禅僧に関するこんな話が伝わっています。

ある人が禅僧に

「あなたは悟る前に何をしていたんですか?」

すると禅僧は

「私は森で木を切り水を運んでいた」

それからその人は

「あなたは悟った後は何をしているのですか?」

すると禅僧は

「その後もわたしは木を切り水を運んでいる。」

「結局あなたは悟る前と全く同じ事をしているのではありませんか?」

と言われ禅僧は

「悟る前は木を切り水を運んでいる自分がいた

悟った後は木を切り水を運んでいる自分がいないのだ」

と語ったと言われています。

 

自分がいないとはどういう事でしょう。

おそらく自分というエゴを明け渡したという事でしょうか?。

 

禅とは日々の生活そのものが瞑想といってもいいでしょう。

生き方そのもの。

キリスト教に代表されるように教義というものが存在せず

武道や茶道などに通じてある「行為」そのものを瞑想にした

という日本の禅は瞑想という点において

世界で独自の発展をとげたと言われています。

 

木を切り、水を運び、武道に励み、掃除する。

ただその一瞬の「今」の為に捧げていて

過去の自分から逃れようとしているのでもなく

未来の自分の為に行っているのでもない。

 

時間の延長線にいるのでもなく

永遠の「今」を生きているのです。

そこに自分というエゴはいないのでしょう。

 

つまり禅という行為自体が瞑想でありそれ自体が目的であり

そこに「リラックスしたい、集中したい、仕事で成功したい」

などの別の思惑はほとんどないわけです。

自分というエゴは落とした人間とはどういう人間でしょうか?

 

人間のエゴを落とした人間を

「波」と「海」に例えた話を聞いた事があります。

人間は波のような存在だと。どんなに大きな波を描いても

大海の一部である事を悟っていることが禅の人である事です。

 

わたしたちの多くの人間は大海の一部である事を忘れ

闇雲に波を引き起こそうとしても苦しんでいるといえるでしょう。

己が大いなる海の一部である事。それを一瞥を体験するには

やはり禅や瞑想によって体験する事ができるでしょう。

 

わたしも瞑想中に「空」の体験というか

自分が自分という枠組みがなくなり

自分のハートがどこまでも広がっていくような

体験をしたことがあります。

 

 

 

 

 

 

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マインドフルネスの限界

マインドフルネスは一定の効果があり

ストレス軽減などの科学的な実証もされているようです。

ですがマインドフルネスを行う動機が

「リラックスしたい、集中したい、仕事で成功したい」等

過去の苦しんきた自分の願望が元になっており

たとえ一定の結果が出ても「もっと、もっと」と

欲がでてきてしまいマインドフルネスが欲求不満に終わる可能性があります。

 

マインドフルネスのをやり始めの方でそれほどの

期待もなく実践すればリラックスなどの一定の効果も出るでしょうが、

人間が欲深いもの。

マインドフルネスの恩恵は長くは続かないものです。

 

そもそも「リラックス」なんて状態は欲して得られるものありません。

リラックスとは現状に満足することでもありますので

「リラックスしたい!」という欲望が強く

力んでいる状態でリラックスなんかできるわけがありません。

 

 

 

 

 

 

マインドフルネスとは瞑想初心者には最適かも

ただわたしはマインドフルネスを偉そうに全否定しているのではありません。

瞑想に興味を持つ人が増えたという点では

マインドフルネスの功績が大きいと言えるでしょう。

 

ただマインドフルネスは瞑想の世界の入口に立つ

だけのものと言ってもいいでしょう。

 

言葉を替えれば自分の内なる世界は広大です。

人の無意識にはさまざまなものが眠っています。

 

自分が気づいてない程の悲しみや怒りなど

瞑想はそれらを癒すこともできます。

 

マインドフルネスは瞑想の世界の入口に立つという意味で

最適かも知れませんがいつまでも使い続けるツールではないという事です。

 

最後に本の紹介をします。

松山大耕という方の本で、この本の中にもマインドフルネスと禅の違いに

ついて詳しく書かれています。

その他にも

現代社会でかかすことができない「ビジネス」。

それとは一見無関係と思えるような「禅」。

その両者をつなげる事で日常生活を少しでも豊かに

生きるヒントが描かれていますぜひ読んでみてください。

 

 

最後に自分がよく実践している瞑想CDも紹介しておきます。

朝にやると効果的な瞑想CDです。

 

それでは今回も最後まで読んでくれてありがとうございました!