瞑想とは「理想」を目指すものではない。

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こんにちは。香川です。

 

瞑想で人を変える事はできるのでしょうか。

 

わたしは23才からはじめて15年以上経ちますが

自分がどう変わったかなんて

正直よくわからないところも

ありますが、

もちろん今の自分でも悩みはあります。

ただ一つ変わったところがあるとするならば

 

「悩んでいる自分を少し距離を置いて

観察する事ができるように

なった」という事ですね。

 

説明するのが難しいですが

悩んでいる自分を

客観的に観察できるように

なったという事でしょうか?

悩んでいる自分と同一視しなくなった

というのが一番実感している

しています。

 

瞑想とは

「理想の自分になりたい!」とか

「弱い自分を変えて強くなりたい!」とか

「勝ち組になりたい!」とか

 

という人には向かないものだと

思います。

 

今回の記事では「瞑想は自分の理想を目指すものではない」

という事を説明したいと思います。

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瞑想とはネガティブでもポジティブでもない第3の地点

自身喪失になることは誰にでもあります。

そんな時皆さんならどうしますか?

「これじゃいけない!」

と言って何か行動できる人もいれば

「どうせ自分はダメだ…」

と自己否定のスパイラルに

陥る人もいると思います。

 

瞑想とは第3の地点に立つことです。

人間、ポジティブやネガティブでも

いいんです。

そこに瞑想という「気づき」ていう地点

があれば。

ネガティブでもポジティブでも

その状態に気づきという地点に立つことができ

どんな状態であってもその状況と

自分自身を同一視しないという事が

可能になります。

 

 

瞑想とは自然のリズムに生きる事

どんな状態でも同一視しないと

どのようなメリットがあるのでしょうか?

 

すべてに自然の状態になるというか

自然のリズムで生きるようになります。

 

海の波が寄せては引くように

夜のあとには朝がくるように

ネガティブの状態が長く続く事は

ありません。

 

瞑想的に生きるとは

自然の流れに身を任せる事でもあるのです。

 

どんなネガティブな出来事が

起こっても目を背けず

すべてを受け入れる

という姿勢が大事です。

 

人間の「こうでなくていけない」という

思いは人間のエゴでもあるのです。

 

どんな状態でもすべて受け入れ気づく事

が重要です。

ビートルズの名曲「Let it be」(なすがままに)

とはそう意味なのでしょう。

 

 

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人間の努力だって自然の一部

だからといって

「人間どうせなるようにしかならない、

何をしても無駄なんやね」

という事を言いたいわけではありません(笑)

 

人間の努力だって自然の一部なのです。

 

人間と動物の違いは何かといいますと。

人間は「自由」という特権があります。

 

動物は生まれてから死ぬまで

種類によって行動パターン決まってます。

生まれて餌を探し交尾して子どもを育て死ぬ

というパターンを大きく外れる事は

ありません。

 

人間は他の動物よりたくさんの

生き方を選ぶ事ができます。

 

人を救う医者になることもできれば

犯罪者になることもできます。

この世界を救うような画期的な発明品を

創る事もできれば

この世界を破滅させる破壊兵器を

創り出すこともできるでしょう。

 

動物より何万パターンを生き方を選ぶ

事ができる権利「自由」を与えられた

人間はその自由を生きるために

努力しなければならないはずです。

 

人間の努力だって自然の一部のはずです。

 

自分のハートに従って常に自分が

どう動き、どう努力するか決めるべきでしょう。

瞑想をすれば自分のハートにつながり

どう行動するか容易になります。

 

 

輝く「未来」は惨めな「過去」の焼き直しに過ぎない。

理想の自分とは何でしょうか?

自分の理想がコンプレックスから

来ている場合、その人は過去に

囚われている場合があります。

 

例えば「年収1億目指したい」

という理想が

子どもの頃かいじめられた人や

学歴コンプレックスの人が

過去に自分の馬鹿された人達を

見返すために

「年収1億を目指す」のであれば

それは過去に囚われている

自分から脱皮しているとは言えません。

これは過去を忘れようとして

新しい自分になろうしているように見えて

結局過去の自分に囚われています

 

そのような状態で自分の目標を達成しても

満足感を得られることないでしょう。

 

瞑想的に生きるとは今を生きる事です。

 

目標を持つ事は素晴らしい事ですが

その事で過去や未来に囚われてはいけません。

あなたが目指す理想が「今」ではなく

「過去」やその過去の投影である

「未来」へ意識が向いてしまい

今を生きる事を取り逃がしてしまいます。

 

どんなに輝かしい「未来」あっても

結局は「過去」の焼き直しに過ぎません。

 

常に目標を持つことが素晴らしい事ですが

そのことが今を生きる事からの逃避になっている

場合が往々にしてあります。

 

「過去」や「未来」をについて考えるのは

言葉が必要ですが

「今」を生きるには言葉は邪魔者です。

 

もしあなたがある悩みを抱えてみて

どう行動をしていいかわからない時は

瞑想をすることをおすすめします。

 

その際は自分の理想を思い描くのでは

過去を悔んだり

未来を思い描くのでは

ひたすら今に瞑想するのです。

 

そしてひたすらに心のわずかの声に

耳を傾けるのです

 

悩みや混乱しているときこそ

瞑想が必要なときです。

 

理想を求めるのではなく

今を瞑想することで自分の悩みとも

距離を置いて観察することができ

悩みすら楽しむことができる時もあります。

 

 

 

今回の記事では

瞑想することは自分の理想を

求める事ではないという話を

お話しました。

 

今回も最後も読んでくれてありがとうございました!